2005年11月21日

砂漠で浮いてた日々

この前新居のある街を歩いていてふと気づいたんです。
今度このレストランに入ってみようとか、このお店覗いてみたいな、とか思ったときに身体にものすごい緊張感が走ったことに。
なんでこんなに緊張するんだろう?
一人でレストランに入ったりお店を覗いたりするのは勇気がいるもんだと思いますが、それを差し引いてもこの緊張感はちょっとヘン。

で、わかりました。これはおそらく前に住んでいた砂漠の町で身に着いた習慣。
アジア人が珍しいその砂漠の町では、レストランやお店に入ると周りがみんな白人で白人じゃないのはあたしだけなんてことも珍しくなかったんです。
昼時の混雑したピザ屋さんに入ったら、そこにいた人たちみんなの視線眼鏡を一斉に浴びたこともありました。
とにかく浮いたんです、何処に行っても。だから必然的に一歩外に出ると緊張して“構える”癖がついたんだと思います。

そういえば、その昔、誕生日にスパ(エステ?)のフェイシャル・マッサージ券をもらったことがありました。
アメリカ人のクラスメートが何人かで集まってくれたんです。
それがあたしには全然嬉しくなかったんです。それどころかせっかく貰ったんだから“行かなきゃならない”と思うと何だか腹まで立って・・・
日本でもエステとか行ったことがないのに、そんなところでどうやって振舞っていいかわからない不安はもちろんあったと思います。
でも、それよりも、そんな白人の中流階級以上の人しか行かないようなところにノコノコ行って晒し者になりたくない、という気持ちが怒りになっていたんじゃないかと、今となっては思います。

今いるところにはアジア人がたくさんいます。
アジア人どころか、人種も民族も国籍も違う人たちがいっぱい。
だからと言って差別がないわけじゃありません。
でも、浮かないんです、何処に行っても。
「なんであんたここにいるの?」なんて目で見られることはないんです。
それどころか、あたしがそこにいようがいまいが誰も気にしない、見てない感じです。
だから、構えなくていい、緊張しなくていいんです。

これやっと頭でわかったんですが、これまでの“習慣”が身体から抜けるにはまだちょっと時間がかかりそうです。

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posted by EL at 21:41 | Comment(9) | TrackBack(0) | ちょっとひとやすみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
もう21世紀なのに、アメリカでもそういうところ、まだありますよねー。

黒人の友達と二人で白人しか行かないようなちょっとおしゃれなレストランへ行っってしまったときは汗かきまくりでした。料理の味も覚えてない。(;^_^A アセアセ・・・ 知らない町ではそういう事情は後でわかるものですからねー・・・なんか、哀しいです。
Posted by ame-o-wife at 2005年11月23日 15:23
その感覚よくわかります。私は中西部の田舎なといっても一応州都だけどやっぱり田舎、もちろんほとんどみんな真っ白というところに2年いました。その町は大学町なので、それなりに留学生もいて、「国際的」なはずで、ダイバーシティーもその周りに比べれば高いほうでした。でもやっぱり白人が圧倒的に多いところなので、どこへ行っても浮くし、落ち着かないところでした。あるとき、学会があってサンディエゴに行きました。気候がよかったこともありましたが、それ以上に西海岸は移民も多いし、アジア系も多いし、外国人だろうが白人だろうが誰も気にしてないってのがひしひしと感じられて解放感がありました。やっぱ気がつかないようでも普段はストレスがずっとあったんだなと思いました。その後、黒人のPublicHealthか何かの研究者が黒人のほうがいろいろな病気の発症率とかが高くて生存率が低いのはsocioeconomicなバックグラウンドのせいだけじゃなくて、黒人であるだけで、白人社会から言葉にならない微量のストレスを受け続けていることも関係あるんじゃないかってことを言っていて、おおそうかもしれんと思いました。例えば、黒人の客が白人の店員がいる店で買い物をするときに、helpfulじゃなかったり、目の端に微妙な緊張が感じ取られたり、差別とは言えないし、社会問題になるほど何かわかりやすいものではなくても、何かイヤな感じがしたりすることがあるというようなことだと思います。すみません、熱くなっちゃいました。
Posted by ヒロシ at 2005年11月23日 23:42
>ame-o-wifeさん
黒人とアジア人で白人レストラン(?)に知らずに踏み込んでしまったっていうのかかなりツライかも・・・料理の味も覚えてないって言うの、わかります(;^_^A
21世紀になってアメリカでは目に見える明らかな差別というのは少なくなっているようには思いますが、Unintentional(故意でない)差別とか、社会構造に組み込まれてしまっている差別とかはまだまだこれからのように思います。

>ヒロシさん
なるほど、そうですよね。比較的白人社会に受け入れられやすいアジア人のあたしでさえ、ただ生活するだけで知らずにこんなにストレスを感じていた(る)ことを思えば、黒人の人たちが日常生活で受けているストレスってものすごいかもしれません。
Unintentionalな差別やInstitutionalizeされている差別は相手に差別意識がないだけに、Intentionalな差別より始末が悪いです。
いや、差別問題に関してはあたしも熱くなるのでだいじょうぶです(^_^;)
Posted by EL at 2005年11月25日 05:27
日本人はアメリカに行ってアジア系ということで初めて差別を体験しますよね。でも、日本国内でも差別は社会的にも人の意識下にも存在します。差別される体験を通して、日本国内の差別についての意識も変わったら良いのになあと、いつも思いますが(ありえないですねぇ)・・・。

ちょっと語りそうになってしまいました・・・。自己コントロール(ききーっ←ブレーキの音)!!
Posted by トラ猫 at 2005年11月26日 08:15
個人的には日本の方がアメリカよりずっといろんな差別への取り組みは遅れているなと思います。
Posted by EL at 2005年11月27日 04:37
以前いた某州の田舎町はかなり保守的でした。
道を歩いているだけで車から罵声が飛んでくることもよくありました。「田舎だしきっと外の世界のことを知らないんだ。かわいそうな人だ」とあまり気に留めてはいなかったのですが・・・
アメリカの田舎では有色人種への差別が根強い気がします。
長年続いた差別の解消はなかなか難しいのも現実ですが、少しでも改善できないものかと思っています。
Posted by みずのと at 2005年12月01日 01:03
「Unintentionalな差別やInstitutionalizeされている差別は相手に差別意識がないだけに、Intentionalな差別より始末が悪い」ってそうですね。ほんとにそして次世代にも伝えていかれたりしてほんとに困りますね。たぶんお互いさまなんですけどね。。。。
Posted by ヒロシ at 2005年12月01日 12:34
私は頭が緩いのでそういうレストランでは満面の笑みでさらに目立つことをする気がします(笑)。アーノルド坊作戦とかウィル・スミス作戦とかいろいろありますから(笑)。

デトロイトの入国管理で
「アメリカは何回目?」
と聞かれたんですよ。ハワイ行ってるの忘れてて
「初めてです」
と言ったら、20歳台の大柄な女性でしたが、
「うそ。ハワイに行ってるじゃない」
って言われたので、「あ、忘れてた」なんて単に平謝りするのも芸がないかと思いまして。

"Well... 50 years ago, Japan has already ocupied it, hasn't it?"

「あれ、50年前にそこは占領したはずだけど」

とボケましたらいたく気に入られましたよ(笑)。「失敗したくせに」って的確なツッコミ入りましたけど。
Posted by bun at 2005年12月01日 19:20
>みずのとさん
「道を歩いているだけで車から罵声が」ってそれはひどい!!!

>ヒロシさん
そうそう、意識がないだけに次世代にしっかり引き継がれてしまいますよね。

>bunさん
なんかすっごい高尚なボケ&ツッコミですねえ・・・(←感心しているらしい)
Posted by EL at 2005年12月13日 01:37
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