カンザス州立大学のMichael Weschという学生が200人の学生たちの協力を得て作ったものだそうです。
なんか、アメリカの大学で教育に携わる者としては他人事ではなくて身につまされます
うちは大学院だし、院で学ぶことが直接職業に影響する分野なので、学生たちの現実とアカデミアがここまでかけ離れていることはないんですが、それでもこれを観てうなずくところ多々あり。
空しさがこみ上げて来ます
アメリカの大学教育って何かが大きく変わらないといけないんでしょうねぇ・・・
でも、日本の大学ってあたしが学生だった頃からこういう空しさはあったような気がします。今はどうなっているのか想像もつきませんが
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D論終わりました〜!でもまだ口頭試問があるので、D課程自体は終わっていませんが。
とりあえず人間らしさを取り戻そうとしておりますが、まだダメみたいです。アジトのようになり果てたわが下宿をどうやって片付けるか。。。うーん。
ところでこのヴィデオ、考えさせられました。日本の大学は私が学部生だったころからこんな感じだったと思います。欧州の大学はそうでない気がするんですが(自分の経験から)、どうなんでしょう。しかし、教育者になりたいと思って今まで必死こいて勉強してきて、Dとか書いたわけですけども、こういうの見ちゃうと。。複雑ですねぇ。どの時代にも、やる気に燃えた学生は健在だと思いたいです。
以前からちょくちょく遊びにきていました。
今回のビデオに特に印象付けられたのでコメント残させていただきます。(カンザスの語学学校を経て、ミズーリ州にある小さいwomen's collegeに通っていたので尚更親近感を感じました)
私は今は太平洋に浮かぶ島の大学の4年生なんですが、彼ら彼女らの言うことがすごい理解できます。
なんだか自分が今までアメリカで大学生として勉強しながらも漠然と抱いていたものをはっきりと言葉にしてくれたのがこのビデオだと思います。今学期は6つのクラスを取っているんですけど、私の顔と名前が一致する先生は1人しかいないですし・・(これでもseniorで今年卒業なんですが・・)その他にも思い当たることの方が沢山ありました。
はっきり言って私があまり具体的に考えないようにしていたことをビデオで見てしまったのですが、これが良いきっかけになったと思って、ビデオに掲載されていたウェブサイトに行ってみたいと思いました。
このブログ大好きなので次の更新も楽しみにしています。
では失礼します。
専攻に入るには、必須科目が沢山あって、その必須科目が複数の専攻の必須科目なわけなので、一クラス100人から300人というのもざら。
一般的な専攻を選んだ人は、三年生や四年生になっても、同じなのかもしれませんが……。幸い、私は専門性の高い専攻だったので、専門課程に入った後は「現実」と「学んだこと」が直結できる感じで、よかったのですが。
おめでとーございます!!!口頭諮問も無事終わって、人間らしさを取り戻せているといいんですが・・・?
>ggmlさん
せっかくコメント残してくださったのに、二ヶ月以上もたってからのお返事でごめんなさいm(__)m
いや、でも、どの学生が自分のクラスにいるのかもわからないような状態で授業をしなきゃいけないってのは、教員としてもどうかと・・・
あたしは100人のクラスを教えたときも必死で学生の名前と顔は覚えましたが、そのクラスが終わったら名前はすっかり忘れてしまいました(^_^;)
>院生Aさん
大学教育と現実が一致しないっていうのは、昔はアカデミアとはそういうものでそれでよかったんでしょうが、今はそんなことで大学が生き残れるのかと思うんですが。300人のクラスで一体何を“教育”するんでしょう・・・
私は自分なりに学生が積極的に参加することが必須の授業スタイルやコースカリキュラムをとっているつもりです。学生には誤魔化しがきかないので大変なのは百も承知(ニヤリ)。それは学生の普段の様子からもわかっていたのですが、この間、先学期の学生からの授業の評価を読んで又びっくり。私の授業の改善点として上げられていたことの一部に、「授業が休めないのがつらい。」「予習しなくちゃいけないのはこのクラスだけ。」「成績が悪いから、このクラスは嫌い。」というのがありました。
こいつら、何しに大学来てんだ〜!(怒涙)
全員じゃないんですけどね、一所懸命な学生の姿だけが励みです。
と言うことで愚痴を聞いていただきました。(礼)
その手の学生からの評価は、いい授業の証拠です!改善しなくてよいですっ(きっぱり)