やがてインターンとして学外に出て、そこで仕事をしているアメリカ人たちと肩を並べて(ほとんど)仕事をすることにもなった。
この頃のあたしの英語力は、相手の言ってることはたぶん半分くらいしかわからなくて、自分の言いたいことは言わなきゃならない最低限のことは言える、てな程度だった。
そんなあたしが仕事で人と会ったり、電話で話をしたり、今思えばよくやったな自分と思うけど、あの頃はただただ必死だった。
五感、いや、六感を全部使って全神経を集中して相手の話を聞いたりその場の雰囲気を読んだりした。
おかげで毎日ヘトヘトだった。
でも、英語が充分に聞き取れないというのが逆にプラスになることもあった。
相手の話の枝葉的な余計なところに惑わされて肝心な部分が見えなくなるということがあまりなかったから(笑)
当時の実習担当の先生には「どうなることかと思ったけど、あなたに特に手がかかったということはなかったわ」と後になって言われたから、とりあえず何とかやりこなせてたんだと思う。
結局、普通のアメリカ人学生には2年半の修士課程を、その倍の5年かかって終了した。
いよいよ日本に帰るということが決まって、教授たちが集まってくれた。
そして言われたことば。
"Your persistence is a legend here."(アナタの粘り強さはここの伝説だわ)
"Do NOT just dissapear after you go home."(日本に帰ってもそのまま消えてしまったりするなよ)
嬉しかった。
ほんとうに嬉しかった。
でも、実はこのときあたしはまだ学位を手に入れてはいなかった。
日本での就職が決まって、予想外に早く帰国をしなきゃならなくなって、最後の修士プロジェクトを日本で仕上げることにしてその豪雪地帯を去った。
1995年の秋の終わりのことだった。