学生のうちは放っておいても友だちってできるもんですが、社会人になるとそうはいきません。
職場の同僚でよく気が合う人がいて、その人はアウトドアが好きで、その人とその人のツガイさんはアウトドア・イベントによく誘ってくれるんですが、なんせ相手はツガイさん、今日晩御飯食べに行かない?ってなノリで気軽に誘えません。アウトドアもたまにはいいけど、あたしどっちかと言うと映画やお芝居観にいったり、美術館行ったり、コンサートに行ったり、インドア系も好きなんです。そんなツガイなイベントにツガイ誘ってもつまんない思いするだけだしィ(←いじけてる人)
それに、職場関係の知り合いばかりと付き合っていたんでは世界が狭くなりそうでよくありません。
そんなわけで、“人見知り”のあたしには正直言うとこういうのは面倒くさくて疲れるんですが、最近頑張って立て続けに人に会ったりしてるわけです。
その中で、この前初めて会った人と色々話をしていたら、「あなたみたいに目標を持って生きている人が羨ましい」と言われたんです。
その人はあたしより年は少し下ですが、「10年後の自分が何やってるか想像がつかない」と。
10年後の自分が何してるか。
咄嗟に、まだ生きてるかなあ?と思ったのはあたしだけでしょうか
今を生きるのに必死なあたしには10年なんてもんのすごい先で、そんな先のことなんて考えたことないんですが、無理に想像したら想像つかないこともないかも?
あたしのかつての友人の中には、何歳までにこれをする、という具合に時間を区切って目標を立てて、それをちゃんと達成してる人がいたんですが、あたしは昔から計画を立てるのがとても苦手で、計画を立ててその通りに事が進められたためしがありません(^0_0^)←自慢してどーするねん
だから、計画を立てるなんて無駄なことはしなくなって幾久しいんですが、次はこんな風にしたいな、こうできるようになりたいな、という期限ナシ(苦笑)のぼんやりとした大まかな目標というのはいつもあるのかもしれません。
こんな風に言うとカッコいいから言うんですが、あたしは今の仕事を天職だと思っています。
あ、今の仕事って、大学で教えるという具体的なこと、つまり職業でなくて、今あたしがやっていること、というもうちょっと大きな意味での“仕事”です。
24歳でこの道に進もうと決めたとき、そのきっかけは本当に些細なことでした。でも、これだっと思ったんです。
ていうか、大学卒業してどーやって生きていくべ?と途方に暮れていたときに、その些細なきっかけを藁にもすがる思いでつかんだ、と言ったほうがいいかもしれません
幸運の神様には前髪しかなくて、通り過ぎてから慌ててつかもうとしても後ろ髪はないから手遅れだ、という話がありますが、まさに前髪つかんだ感じです
そんなんで天職なんて言うのはおこがましいのかもしれませんが、あとはもう何かあるたびに悪いことは自分のせい、いいことはやっぱり天職だから、ということにしてただひたすら自分に天職だと思い込ませてきただけなのかもしれません。
まさに、鰯の頭も信心から。
だから、あたしにとって“夢”はそれを見つけることより、それを信じる努力の方が大変なんです。
10年後の自分が想像できないと言ったその人に、何かフォローをせねばとその時、それはでも見方を変えるとこれから可能性がいっぱいあるってことだね、と言いました。
あたしにはそれが逆に羨ましかったりします。
可能性がいっぱいあるということが羨ましいのではなくて、今の仕事がダメだったらまた何か別の仕事を探せばいい、というような、何やったって生きていける、というようなところが羨ましいんです。
あたしは今の“仕事”を失くしたらどうして生きていけばいいのかわかりません。
“天職なんだから”ちゃんと最期まで行けるハズだと信じていますが、この前の「ELの選択」事件で例えばあたしが通報義務を怠ったという罪に問われて今の職を失ったら、と想像しようとしただけで部屋の隅で頭から毛布かぶって丸くなりたいくらいコワイんです。今の職はあたしの天職に直結してると信じているから、それを失くしたらどうしていいかわからないんです。
あたしにはコレしかないんです。
だからこんなにも信じるのかもしれません。
それは守りに入っているということか、と訊かれました。
一瞬そうかな?と思いましたが、よく考えたらこれからまだまだチャレンジしなきゃいけないことがありそうだし、自分ではまだ守りに入ったような気はしません。
てゆーか、もし本当にコレが天職だったら死ぬまできっと守りに回らせてもらえないだろうな、と何となく思います。
天職は天職だけに“仕事”がいっぱいなんじゃないかと。
そんなわけで10年後の自分ていう風に考えても考えるだけ無駄なので、今ぼんやり思っている“次はこんな風になりたい自分”にいつかなれますように。
そうそう、砂漠の博士課程時代の恩師のR先生がこの前メールでこんなことを言ってたんです。
"Life is what happens to you while you're making plans."
(人生とは計画を立ててる間にあなたの身に起こることだ)
ググッてみたら、ジョン・レノンの言葉の簡略版でした。
名言ナリ。
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ELさん、どうぞよいお年をお迎え下さい。
たしか十年前の大晦日の自分は十年後の大晦日も自分がこういう状態だとは思っていなかったです。結局、淡々と進んでいく年齢は想像できてもその年齢の自分がどういういう状態なのかは想像できないんですよね。生きているか死んでいるか。なにに苦しんでいるのか、なにを楽しんでいるのか。親兄弟はどうか。親戚はどうか。現在の職場の関係者と将来も良好な関係を気づいているか。個人的な知り合いはどうか。恋人はどうか。家族を作っているか。たぶん、十年後も同じようなことを考えるのかもしれないなぁと思います。
子供でもいればまたそれはそれで感じ方が変わるのだと思うのですが。十年後は大学受験でたいへんなんだろうなとか。
私は今の職業が天職かどうかについてはわかりません。辞書を引くと天職のところには「天から与えられた職務」とあり「神が宣言(call)したこと」とあります。ということは、現在の職に就いているという機会が与えられている時点でみんな天職なのかなとも思ったりもします。
日本ではあと三時間足らずで「来年」です。来年がELさんにとって良い年でありますように、また「選択」が良い結果をもたらすようにお祈りいたしております。
きっかけは一冊の本です。
そーですね、ツガイになるまでの作業というのは本当にメンドクサイです(;^_^A
じろーさんもよいお年を!
>大安さん
10年前に今の自分?大きな意味で言えばなんとなくこーだったらいいなと思ってた自分には近いと思います。ただ、その頃は10年もかかると思ってなかったでしょうけど(^_^;)
そーですね、みんな天職といえば天職、なのにどーしてそれを天職と思える人と思えない人がいるんでしょうね?
大安さんも良いお年を。
私もアメリカに来て何か天職を掴みたいと思い、今大学院留学の準備をしています(ESLに通っています)。
ELさんのご専門って何ですか?私も社会学出身なのですが、自分が「天職」なる職を掴むことを考えると、日本に帰ってでも通用するものだったら・・・などと保守的にもなって考えます。
天職♪・・って思えるのって、考え方次第だと思いますが人生を豊かに過ごすとても素敵なことだと思います。
私にとっては・・・・何なのだろう。。。。。
早く出会いたいです。
いつかツガイなご自分を経験されることもアリなのではないですか? 天職を理解してくれるツガイがいたら最高だと思いません??!(^O^)/
こんな拙ブログを読んでいただいてありがとうございます。
専門はナイショなんです。それ言っちゃうと簡単に本人が特定できてしまって、好き放題なことココで書けなくなってしまうので。あ、ちなみに社会学ではありません。
あ、それから、誤解されているようですが、あたしは断固ツガイ指向です(^_-)-☆どっちかと言うとツガイでない時期の方が少ないんですが(^_^;) あ、でも一緒にいないとツガイってことにならないとしたら、ツガイじゃないことの方が多いですねえ(/_;)
(コメントの仕方がまだ分かっていなくて、良く使うハンドルネームとダブってしまいました 汗)