Departmentでは三年間のアシスタントシップは確保してくれますが、その後は自分で外で仕事を探さなくてはなりません。
留学生はINS(移民帰化局)の決まりで週20時間より多く働くことはできなかったり、オン・キャンパスでの仕事しかダメだったりと色々制限があるので、アシスタントシップがなくなると大変なことになります。
あたしの場合は、途方に暮れていたときにProgramの先生の一人が他のDepartmentでの仕事を紹介してくれて、幸いにも引き続きアシスタントシップがもらえています。
さて、ではまずRAについてご説明しましょう。
その前にひとつ。
あたしの場合、これまた特殊な例だと思いますが、
アドバイザー=RAとしてついた教授=TAとしてついた教授=博士論文のCommitteのChair=D先生
という、すべてD先生にお・ま・か・せ♪状態になっていますが、普通はこんなにシンプルに物事は進みません。
ぜぇ〜んぶ違う先生についた、という院生も珍しくありません。
どうしてこういうことになったかというと、
このD先生というのが、あたしが豪雪地帯の大学院の修士課程にいた時からの先生で、当時はあたしのアドバイザーでも何でもなかったんだけど、たまたまあたしが今の大学院の博士課程に入ったのと同じ年に、このD先生もDepartmentのChair(学部長?)として転任してきた、という何とも運命的なつながりのある先生なのです。
あたしのプログラムが入っているDepartmentのChairではあるけど、直接プログラムの先生でもないこのD先生に、あたしだけがアドバイジーとして割り当てられたあたり、あたしの入学に際してこのD先生が「僕がこの学生の面倒は見ますから」と言ったような言わないような、そんなありがたい力添えを感じます(笑)
いやホント、アメリカの大学も日本の大学と同じで中に入ればポリティクスでぐちゃぐちゃしてるんだけど、あたしは学部長であるD先生についてるおかげで、周囲から一目置かれてて、今までポリティクスの火の粉も浴びずにすんでます(ほっ)
ちなみにこのD先生、あたしと2つほどしか年は違いません
トントン拍子で昇進してきたエリートさんです。
そんなわけで入学に際して「Research Assistantshipをあげるからうちの院においで」と今の博士課程のプログラムから言ってもらったときも、すでにRAとしてつく先生はこのD先生と決められていました。
前置きが長くなってしまいましたが、肝心のRAの仕事について。
これはもうオイシイ!の一言に尽きます。
専門が自然科学系ではないので、実験とかがあるわけじゃなし、データの処理とか分析とか、文献収集とか、せいぜいそんな程度。
週20時間ということにはなっているけど、タイムレコーダーがあるわけじゃなし、自分の空いた時間に言われた仕事をやればいいだけで、はっきり言って週20時間も働いてませんでした(;^_^A
おまけに何がありがたいって、言われるがままにデータの分析とかやってただけなのに、ふと気がついたら論文に第三著者として名前を入れてもらってたり、
「こっち僕が書くから、そっちはキミが書いて」って言われた論文を書いたら、一つはあたしが主著者、もう一つは第二著者になってたり。
当時はまだそれがどういう意味なのかよくわかってなかったけど、要するにRAの"仕事"としてやってたことが、あたしの研究業績に直接つながってたという、何ともラッキーな話
もうD先生さまさま
だって、他の院生なんかRAでついた先生のアタリが悪かったりすると、本当に下働きしかさせてもらえなくて、何の業績にもならなかったという話はゴロゴロあるもん。
そして、も一つおまけにD先生ラブな出来事が。
RAの二年が終わる少し前のある日D先生に「実はこういうプロジェクトがあるんだけど、博士論文研究としてやってみない?」と言われ、なんとその一言であたしの博士論文プロジェクトが決定
自分のやりたい研究ってまだその頃はよくわかんなかったし、かなり将来性のあるプロジェクトだし、それより何よりD先生についてる限りポリティクスのぐちゃぐちゃから守ってもらえる(これ大事)、と思ったので、あたしには棚からぼた餅でした。
こうなりゃあたしの"やりたいこと"を目の前にあるぼた餅に合わせるわっ、ってなもんで
そんなわけでオイシイRAのお話でした。