中身が予想できたのでもうこのまま開けないでおこうかとも思ったんですが、見なきゃ見ないでずっと気になるのでココは一思いに・・・と腹を決めて開けてみました。
予想通り、見るも無残な評価内容でした
学生の反応を見ていればEvaluationの結果はある程度想像がつくし、春学期の終わりには学生の一人が「Evaluationがよくなくても気にしないでくださいね。このクラスの他の学生のバカさ加減には私もイライラしてましたから。」なんて慰めとも何とも言えないようなメールをくれていたりしたこもあって、相当酷い評価になるのはカクゴしてたんです。
しょーがないんです(._.)
でも、あたしが学生のときはどんなにつまらない授業でもここまでは書かなかったな、というような酷いコメントを見るとやっぱり落ち込みました。
あたしが学生のときは一クラスが10人足らずというクラスが多くて、いくら無記名とは言えあんまり考えなくコメント書くのははばかれたんです。それにベテランのTenure持ってるような先生ばっかりだったし。でも、そんな風に思っていたのはあたしだけで、他のアメリカ人の学生たちはやっぱり言いたいこと遠慮なく書いてたんでしょうか???
しょーがない。
春学期は、博士論文の仕上げとディフェンスとでてんてこ舞いだった上に、教員の新規採用とか、次年度の学生の入学面接とか、在学生の年度評価とか、山のように仕事があってちゃんとそのクラスを最後までできただけでも不思議なくらいで・・・
それに、その科目、誰も教えたがらない悪名高い科目だし・・・
なぁんて言い訳ばっかり
それでも学生全員が酷い評価をしているわけじゃなくて、中にはいいことを書いてくれた学生もいて、ありがたいなあと。
はぅ〜・・・
なんだか、カクゴを決めて自ら敵陣に飛び込んで滅多切りにされた気分です。
こういうのを毎回味わう教員はマゾなんじゃないかと(苦笑)
それとも毎回良い評価を見てウホウホするのがフツーなんでしょうか?
そんなわけで落ち込んだあたしに、さらに不安が襲ってきました。
く、くびになったらどうしよう・・・
借金が・・・夢が・・・人生が・・・
などなどと。
まあ、冷静に考えたら去年の秋学期の評価はよかったし、今回のこのクラスの評価だけでクビになることはないっていうのはわかるんですが、この先何年もこうやって毎学期学生の評価にビクビクしなきゃならないのか、と思うと何て職業を選んでしまったんだぁ、と目の前が真っ暗になります。
本当にあたしのしたかったのはこんな仕事なんだろうか?
なんて自分の人生の選択にも疑問を持ってしまいます。
昇進なんてしなくていいし、お給料もあがらなくていいから、ストレスもプレッシャーもない仕事がしたいよぅ・・・
なんてのはウソです
昇進しなかったりお給料あがらなかったらきっとやる気がなくなる(&老後の生活に困る)、に壱百萬点!
たった一人でアメリカに渡って、一人でここまでやってきて、自慢じゃないけどストレスとかプレッシャーには相当強い方だと思うんですが、長かった学生時代のストレスとプレッシャーをやっと抜けたと思ったら、またこんな風に慢性的にストレスとプレッシャーのかかる仕事を選ぶなんて、あたしってやっぱりマゾかしら・・・
【大学教員へのイバラの道の最新記事】
いわゆる旧帝大には、研究熱心な先生が多くて、Teaching Evaluationは、重視されないネ。学生は大人だから、図書館に行って自分で調べるから、不都合ないと思うけど、小中高は、Teaching Evaluationしてほしいものです。発声の悪い先生なんて、予備校や資格試験の学校では、考えられませんから・・・バイトした時、練習させられた。Teaching Evaluationは、生徒側、上司側二重でしたね〜。
いわゆる旧帝大には、研究熱心な先生が多くて、Evaluationは、重視されないネ。学生は大人だから、図書館に行って自分で調べるから、不都合ないと思うけど、小中高は Evaluationしてほしいものです。発声の悪い先生なんて、予備校や資格試験の学校では、考えられませんから・・・バイトした時、練習させられたね〜。
すみません、ちゃんと見てたんですがお返事まで手が回らなくて(大汗)
おまけにエラーが出たみたいでごめんなさいm(__)m
言われてみれば日本って予備校の先生が一番教えるのが上手だったような・・・