そして、ホントウに大変なのはそれからだった。
言葉や思考の組み立て、価値観、行動様式、その他もろもろ、まるで正反対。
ずっと逆立ちをして歩いているような毎日。頭の中はいつもオーバーヒート。
ただ毎日を"生きる"だけで心身ともに疲れきっていた。
銀行で口座を作る、食料品の買い物に行く、たかがそれだけのことがものすごい大仕事だった。
電話でのやりとりはサッパリわからないので、用のあるところにはできる限り出向いていった。
どうすればいいのか尋ねることすら英語ではできなかったので、周りの人がどうやっているのかを見て真似て。
何をするにもとにかく時間がかかった。
毎日ヘトヘトになって生きていた。
だけど、"ヘトヘト"なんだと自分で気がついたのは随分後になってからだった。
豪雪地帯の大学院の3年目だか4年目だかに、当時の修士のプログラムのディレクターの先生にカウンセリングを勧められて、その時はじめて自分が"うつ"なんだと気がついた。
でも、気が着いたときにはもう長い間そういう"しんどい"状態が続いていた。
それもカルチャーショックの症状のひとつ。
そう、カルチャーショックってのはジワジワと気づかないうちにやってくる。
子どもの頃から"放し飼い"のあたしは、ホームシックにかかるほど"ホーム"が恋しくはなかったし、アメリカのことでそんなに"ショック"受けるほどビックリするようなこともないから、カルチャーショックなんて自分には縁のないモノだと思ってたけど、カルチャーショックってそんな表面的なモノじゃなかった。
文献を調べてみると、異文化適応度というのはUカーブを辿るらしい。つまり外国に来て初めのうちは所謂"ハネムーン・ステージ"で、その後徐々に下がって行って、どん底の危機状態に達して、また徐々に上向きになって行く。
だから、半年やそこらの語学留学や短期のホームステイで海外に出る人は、この"ハネムーン・ステージ"のうちに日本に戻ってしまうから、本当の意味でのカルチャーショックや異文化適応に伴う"うつ"を味あわなくてすむことが多いんだろう。
もちろん、長期滞在でもみんながみんな"うつ"になるというわけじゃないけど。
でも、楽しいこともいっぱいあった。
初めの留学生オリエンテーションで、日本人らしき女のコを見かけて声をかけたら、そこから日本人留学生の知り合いが増えていって、週末に集まって飲み会をしたり、結構Socialize(おつきあい)に忙しかった。
アメリカ人のルームメートもバーに誘ってくれたりしたけど、それでなくても聞き取れない英語がバーのような音楽のやかましいところで、ルームメートがその友だちのアメリカ人たちと早口で話す英語を聞き取るのはほとんど不可能で、無口になってしまうことが多くて、そうするとルームメートたちに気を使わせてしまうのが申し訳なかったりして、どうしても日本人の集まりの方に出かけることが多かった。
この修士時代にはうまれて初めて本気の恋をしたし(←遅い)、初めて親元を離れた開放感であ〜んなことやこ〜んなこと、色んなことした(^_^;)
それから、羽目を外しすぎてかなりアブナイ目にもあった。
危なすぎて、ココにはちょっと書けないような・・・
あれは一つ間違えると「留学生殺される!」なんて日本の新聞に載っていたかもしれない。
ホントに無事でよかった自分(T_T)