2004年12月25日

Ph.D.とクリスマス

前に書いたけど、うちの専門分野には学部課程がなくて、修士課程のある大学が全米で60弱、博士課程のあるところが20校くらい。
修士課程と博士課程の違いは、大雑把に言えば、修士課程は現場で仕事をするのに必要な知識や技術を身に付けたい人向きで、博士課程は研究をしたい人や大学の教員になりたい人向き、という感じ。

うちの大学院のプログラムは正式には博士課程プログラムで、一度入ったらPh.D.を取るまで頑張ることが一応前提となってる。
数年前から途中で辞めても修士の学位は取れるようになったんだけど、あくまでもオマケみたいな感じ。
あたしは修士をちゃんと修士課程のあるところで取ったので、ホンモノです(笑)
しかし、修士の単位を今の博士課程にトランスファーしたから、修士ナシにうちの博士課程を一から始めた人たちより早くPh.D.取れるハズなのに、同じくらい時間かかってるのはナゼ(?_?)

Ph.D.ってラテン語でDoctor of Philosophyのことだそうな。
日本語にすると"哲学博士"
専門が哲学じゃなくても"哲学博士"?って思ったんだけど、なるほどこりゃ確かに哲学するところだわ、と納得したことがある。

あれは忘れもしない、あたしがココの博士課程に入って一番最初の学期。
あろうことか何も知らずにQualitative Research Method(質的研究法?)のクラスを取ることになった。
自然科学の分野で使われる数量データを統計を使って分析する研究法をQuantitative Research Methodというのに対して、Qualitaive Research Methodは文化人類学なんかでよく使われる方法で、少数民族の中に入ってその生活を観察したり、ある現象の体験をインタビューしてその内容を詳しく分析してその体験を質的に理解しようとするもの(かな?←不安いっぱい)
Quantitative MethodとQualitative Methodは根本的にモノの見方が違う。
Quantitativeは研究者が完全に客観的になれることを前提としていて、絶対的な真実を求める研究法。
それに大してQualitativeは研究者だって人間なんだから100%客観的になんてなれないということを前提としていて、人間の主観が調査に与える影響を最小限にした上で、絶対的な真実ではなくて、その時その場所に限られた"真実"を追う方法(ほんとか?・・・汗)

そこで、その研究法を学ぶ前に、その世界観というのを理解せにゃならん、ということでいきなり宇宙語の世界に突入。
アメリカ人でも知らない哲学用語の続出。あたしはもちろんエーゴで意味がわからなくて、日本語で調べてみたらもっとわからなかった(-_-;)
それでもまあ、わからないなりにわかったところだけを継ぎはぎしてみると、要するにモダニズムとポストモダニズムの二つの世界観の違いが焦点らしい・・・ような・・・たぶん・・・(大汗)
簡単に言えば、モダニズムはこの世に"絶対真実"が存在するという考え方で、ポストモダニズムは"絶対真実"なんて存在しないという考え方。

この授業を取ってた3ヶ月の間、何度も頭がショートして煙が出そうになったけど、セメスターが終わる頃には、ああ、あたしはSocial Constructionist(社会構造主義者)の世界観を持ってるのかもしれない、と思うようになった(ほんまかい!)
ソーシャル・コンストラクショニズムはポストモダニズムに入るんだけど、これまた簡単に言えば、この世に"絶対真実"なんて存在しなくて、全て人間の係わり合いの中で創り上げられたものだ、という考え方。
この世は全て幻よぉ〜〜〜〜〜(←ついにキレたらしい)
これが、敬虔なキリスト教徒のアメリカ人たちにはどーしても理解できないみたい。
どんなに議論を繰り返しても、"唯一絶対の神の存在"というところが彼らにはどーしても譲れない。ポスト・モダニズムを受け入れる受け入れないは別として、せめてその考え方を理解しようと一生懸命努力してるのはわかるんだけど、じゃあ神様の存在はどうなる?というところに行き当たると、どーしても理解がそこから先にいけないらしい。
あたしに言わせてみれば神さんなんて人間の創造物の典型みたいなモンなのに・・・
ニッポンには"八百万の神"って言うくらい、神さんいっぱいいるんだから(笑)
あたしは、ニッポン人として、そういう神道の考えとか仏教の諸行無常とかが子どもの頃から知らず知らずに身体にしみこんでて、ポスト・モダニズムの考え方はすんなり受け入れられたんだけど。

とまあ、このクラス、内容はもちろんアサインメントも地獄を見るほど激しかったけど、おかげですっかり"哲学してる"気分になれました。

ちなみに、こんなことをいつも考えているわけではありません(きっぱり)
が、キリスト降誕の日、クリスマスということで、"哲学して"みました(笑)
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posted by EL at 23:59 | Comment(5) | TrackBack(0) | 我思ふ処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もポスト・モダニズムの考え方はすんにり受け入れられそうです。
Posted by ミッキー at 2004年12月28日 11:41
ミッキーさん、記念すべき初コメントありがとうございます!!!
ミッキーさんも受け入れられそうですか。やっぱりそうですよねえ。あたしにはどーしてわからないのかがわかりません(笑)
Posted by EL at 2004年12月28日 20:37
初コメントでしたか・・・・・
わかっていても自分が信じているものを否定する事が出来ないのでしょうかね?

また私のところにもお越しくださいませ。
(にぎやかですので・・・)
Posted by ミッキー at 2004年12月28日 22:43
めちゃめちゃこの話題に共感しました(^^;; 私、もともと理系の人ですが現在はちょっと違う分野におります。で、Philosophyそのものの授業が必須科目でした(^^;; これはもう異次元の世界でした… でも英国ではPhD論文の中でPhilosophyについて1章使うのが普通なんです。よって必須というワケ。
結局、その授業、私が自分の意見を曲げなかったので落とされました(^^;; だって、モダニズムにしてもポストモダニズムにしても、定義がはっきりしてないし、どの研究者がどんなphilosophyを持っているか?なんて本人しかわからない(と思う)。もしかしたら、本人だってよくわからないかもしれない。
必須科目を落として当時は非常に落ち込みましたが、拾う神ありで学位には影響しませんでしたのが救いです。
でもあの授業はぜったいにおかしいぞ〜!
Posted by ぼん at 2005年11月21日 22:14
自分の意見を曲げなかったら落とされるんですか(ひょえ・・・)
自称ポストモダニストの人が他人からみたら全然ポストモダニストじゃないことはよくありますが(苦笑)、モダニズムに基づいた研究はモダニストなんだなあとわかることが多いような気がします。
Posted by EL at 2005年11月23日 02:01
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