なんてところに来てしまったんだ・・・
急に心細くなった。
お腹が減っていたけど、どこで食べ物を手に入れていいかわからなくて、その夜はそのまま寝た。
次の朝起きても、やっぱりどこで朝食を食べればいいのかわからなかった。
結局どうやって食べ物にありついたのか覚えてないけれど、あの時の空腹感と心細さは今でもはっきり覚えている。
カギを持ち歩くことになれてなかったので、うっかり手ぶらでトイレに行った隙にルームメートが出かけてしまって部屋に入れなくなったことも何度もあった。
パジャマのまま寮のロビーにあるRA(Residence Assistant)のところへ行って、部屋にカギを忘れて・・・と説明しなきゃいけなかった時の恥かしさ。あの頃は"lockout"なんて単語すら知らなかった。
ある日寮のロビーで日本人を見かけて、勇気を振り絞って「日本人ですか?」と声をかけて、そこから日本人グループの仲間に入れてもらってやっと色んなことがわかるようになった。
でも、車がないとどこにもいけなくて、寮から歩いていけるところにはあまり長居したくないあやしいコンビニが一件あるだけだった。
近くには海があるはずなのに、その辺りの公園ではドラッグの密売が行われているらしく、そこに行ってはいけないと言われていた。
留学の斡旋業者からは"海辺の環境のいいところにあるいい学校"だと聞いていたのに・・・
肝心のガッコ−の方は、院の授業はひとつだけで、あとはそのガッコ−にも附属の英語学校があったので、そこで英語のクラスを取るように言われた。
でも、やっぱりそういう所の英語の授業は文法中心で、クラスメートはみんな"外国人"。みんなでテキトーにエーゴしゃべって通じあうもんだから、会話もさほど上達しない。
まあ図書館の使い方とかを教えてもらったのは役に立った。
院の授業は、正直言うと一割くらいしかわからなかった(-_-;)
学生も社会人ばっかりで、みんな授業のときだけやってきて授業が終わったらすぐ帰る。
授業を録音したり、ノートを借りたりしたけど、そもそもリーディングのアサインメントについていけない。授業中にはひと言も発言できない。
そうこうしているうちに、ガッコ−の図書館の前で学生が銃で撃たれるという事件があった。
もうダメだ、こんなところにはいられない・・・
気になります。
ところで銃で撃たれた学生は大丈夫だったのでしょうか?
大学院を変わっても銃社会のアメリカにいるのは同じ。
ELさんも気をつけてください。