志望校は、アメリカの内陸部はなんだか息がつまりそうだったので(笑)、東海岸か西海岸かということに絞って選択。
とはいえ、あたしの行きたい専門のコースがある大学院というのはアメリカでもそんなに多くなかったので、業者と相談しつつ3校くらいしか出願しなかったと思う。
その年の秋からの新学期(アメリカは8月末から始まる秋学期が新学期で秋・春と二学期のセメスター制のところが多い)には間に合わなかったので、とりあえず次の年の1月からの春学期入学を目指した。
大学を卒業してからは大学の先生の紹介でたまたまありつけた弁護士事務所の事務のバイトをしたり、大学のゼミの先生の研究を手伝ったりしながら、返事待ち。
そしたら何と、東海岸の某大学から合格通知が来た!
どうやらこの留学斡旋業者はこの大学にコネがあるらしく・・・
またオマケ?(苦笑)
そして12月の初め、家族も親戚も友だちも誰もいない国へ、黄色いスーツケース一つで旅立ったのでありました。
今思い出したけど、そういえばあの時、バイトをしていた弁護士事務所の弁護士のせんせーが、某高級串揚げ屋で送別会を開いてくれた上に、お餞別といって泣く子も黙る10万円も握らせてくれたんだった。
これも、オマケ♪