あれから一週間。
あたしはまだ同じところに立ち止まったまま。
鳴らない電話を待ち侘びて、届かないメールを待ち侘びて。
日本語を話さない日がもう幾日。
たくさん、たくさん、泣きました。
これでいいんだと、何度も何度も自分に言い聞かせて。
こうしている今も涙が溢れてきます。
こんなとき、酒を呑む人なら、呑んで呑んで酔いつぶれるまで呑むのでしょう。
こんなとき、近くに友達がいる人なら、バカ騒ぎして気を紛らわせるのでしょう。
こんなとき、忙しい仕事がある人なら、疲れ切ってしまうまで仕事に没頭するのでしょう。
だけどあたしには何もない。
論文なんて何の役にも立ちやしない。
波のように押し寄せてくる淋しさにのまれそうになりながら、頼りない砂を掴んで流されてしまわないように這いつくばるしかない。
あの人の幸せも不幸せも知りたくはない。
ただ、あの人の声が、あの人の言葉が、欲しいだけ。
こんなみっともない姿を人前に晒すもんじゃない。
だけど、こんなあたしでも、どこの誰かもわからない誰かでも、観ていてくれていると思えるだけで、波間にまた顔を上げて前を見ることができる気がするのです。
最後まで見届けてくれると誓った人はもういないから、どうぞ、誰か、こんなあたしを見ていてください。
手を差し伸べてくれなくてもいいのです。
浮きを投げ込んでくれなくてもいいのです。
ただ、どこかでこんなあたしを、みっともないあたしを、見ていてくれるだけでいいのです。
それだけで、あたしはきっとまた歩きはじめられるから。
『幸』という字は『十』分に『辛』いと書いて幸せと読むそうです。
あたしはいったいどれだけ辛い思いをすれば十分なんだろう。
この雨はいつやむのだろう。
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