留学手続きの方はサッパリわからなかったので、留学斡旋の業者を使った。
東京の個人経営の業者で費用も高かったけど、手続きだけじゃなくて大学院選びの相談から、実際に向こうに辿り着くまでトータルで面倒見てくれるということだったのでそこを選んだ。
今は留学の斡旋業者も乱立の時代だけど、当時はそこか語学留学をメインにしている大手の企業1〜2社くらいしかなかった。
英語の方は、英会話学校に通い初めて、それとは別にTOEFLのお勉強も。
TOEFLはアメリカの大学院では最低550点を要求してくるところが多い(当時のTOEFLは最低点が200点で最高点が677点)
ところが英語で二浪のアタシは何度受けても400点台
結局、願書提出時までに搾り出した最高点が517点・・・
それに加えてGREという試験も受けなきゃならなかった。
これは大学院へ入るための共通テストみたいなもんで、アメリカ人もみんな受ける。
今ではTOEFLもGREもコンピューター化されていて、比較的簡単にその気になれば何度も受けられるけど、当時GREは神戸のアメリカンスクールに行って受けないといけなかったし、受験機会も年に数回しかなかった。
GREにも当然英語のテスト(Verbal)があって、もう見たこともない単語がぞろぞろ、ひたすら勘に頼って当てずっぽう、結果は見るも無残なお粗末さ(T_T)
確かGREの英語は受験者全体の下から数えて10%レベル()だった。
でも数学(Quantitative)が上から10%レベルだったので合計点は何とか格好がついた(?)
GREの数学ってアメリカ人にはすごい難しいらしいけど、ほとんど中学レベルの数学なので日本人には楽勝なのさっ♪
それで、エッセー書いてその業者に激しく添削してもらって(汗)、推薦書添えて願書提出。
このあたりの詳しいことは「留学手続き」に書く予定。
そういえば、フルブライト奨学金なんかにも応募してみたけど、そもそもTOEFLの点数が低すぎてほとんど相手にされなかった。
そうこうしてるうちに大学無事卒業。
そういえば、卒論は提出締切日の締切時間直前に表紙にほとんど白紙の中身を挟んで学部の事務所に提出し、学科の事務室にそれが届いて実際に教授たちの手に渡るまでには数日あるとの内部情報を仕入れ、学科の事務室に届いたときにコッソリ中身を入れ替えるというウラワザを使ったのだった(;^_^A
ほっ。