2004年07月14日

おまけの人生〜決意編〜

(この記事は引っ越しヴァージョンです)

当時日本でこの技術を学べるところは限られていたし、何よりも本場でこの技術が発展した文化背景を見てこなきゃと思った。
とは言え、所詮は叩き上げの大阪商売人の娘。親戚一同を見回しても海外なんて縁のない人たちばかり。
かく言う自分も飛行機は生まれてこのかた一度しか乗ったことがなかった(もちろん国内線)

当時、アメリカへの語学留学は猫も杓子も状態になり初めていたけど、正規留学となるとまだそれほどじゃなかった。
それが大学院留学ときた日にゃ・・・(T_T)
いや、あたし自身は初めアメリカの大学(学部)に編入しようと思ってたんです。
何てったって英語で二浪した身分ですから。
でも、ゼミの先生に相談したら、編入なんてする必要はないから院に行けって・・・
あのう、せんせぇ・・・ 共通一次の英語、60点とかだったんですけどぉ・・・(涙)

で、そこからは就職活動に励む大学の友人たちを横目に見ながら、領事館のアメリカンセンターに通ったりしてひたすらリサーチの日々。
調べるうちに、アメリカにはこの分野の大きな学会があって、その学会に認定されている大学院を選んだ方がいいってところまではわかった。
当時、語学留学や学部留学の情報は日本で出版されている留学雑誌なんかで比較的簡単に手に入ったけど、大学院留学の資料となると非常に限られていて、それもMBAとかメジャーな専攻しか取り上げてなかった。
だからアメリカで出版されている大学院のランキング雑誌なんかを見たりしたけど、あたしの目指す分野の詳しい情報はほとんど手に入らなかった。
今なら、インターネットで直接アメリカの大学のホームページにアクセスすれば必要な情報はほとんど手に入るどころか、写真なんかで学校の雰囲気もわかるけど、当時はまだインターネットなんてものは存在すらしてなかった。
とりあえず留学雑誌の「資料請求の仕方」を頼りに、みようみまねで自分でいくつかの大学院に資料請求をしてみた。
そうして夢はどんどん膨らんでいった。

親に話したのはもう気持ちがすっかり固まってからだった。
この娘は一度言い出すと聞かないってことをよく知ってる両親は、「そうか」と言うだけだった。
今思うと、知り合いも誰もいない自分たちも行ったことのない異国へと、一人娘をよく行かせてくれたもんだと思う。
というか、親戚中見回しても誰も海外留学なんてしたことないから、それがどういうことか理解の域を越えていたものと思われる(苦笑)
人気ブログランキングへ
posted by EL at 23:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
 
Web phd.seesaa.net