大学の4年間はバンドみたいなことをやって過ごした。
周りの同回生たちよりも年上だったので、馴染むのに時間がかかったし、サークルなんかでは"先輩"より年上だったりしてやりにくかった。
教養課程の間はほとんど勉強しなかった。興味のない科目のテストなんてカンニングが当たり前。
試験の始まる少し前に講義室に入って、ひたすら机に覚えてもらった。
そしたら、敵もさるもの、試験の直前に全員席を移動されたことがあった(涙)
そのときはもう諦めて試験を放棄しようと思って席を立ちかけたところで、どこからか解答付のテスト用紙が回ってきた(!)
ありがたくそれを写させてもらって、その試験は無事何とかパス(^_^;)
そんなこんなで、教養課程の成績は"良"がいっぱい、"優"と"可"が同じくらいチラホラという感じだった。
うちの学部は専門課程に入ると"専修"というのを選んで、その中でゼミに入るというシステムになっていた。
その時に選んだ専修が今の専門への入口となったんだけど、その専修は人気がある割に人数が限られていて、希望しても第二・第三希望へ回される可能性があったのでハラハラドキドキ。第一希望が通ってのその専修を取れたときは本当に嬉しかった。
専修の授業は興味のあることだったからおもしろかったし、テストやレポートにもとても真剣に取り組んだし、みんなで自主的に勉強会をやったりもした。
おかげで、専門課程の成績表は"優"がいっぱい"良"がぱらぱら、"可"が一つ二つだった。
そして三回生の後期、ゼミを選ぶときになって、よりによってわざわざ一番しんどいと言われているゼミに入った。
英語の論文を読まされるとか、卒論には参考文献に英語の文献が10以上入ってないとダメとか、色んなことを聞いていたけど、そういうのが逆にムラムラと闘争心を掻き立てたし(笑)、何よりも『英語を少しでも身に付けておけばこれから役に立つことがあるかもしれない』とその時ぼんやりと思っていた。
もちろんその頃はまだ「留学」なんてこれっぽっちも考えてなかったけど。
そして入ったゼミは、人数が少なくてこじんまりとして、大きなゼミなんかに比べると先生や先輩たちとの距離も近かったし、ゼミ旅行なんかもあって楽しかった。
英語の論文には七転八倒したけど、『大学生してるぅ☆』と実感できる時間だった。
4回生になって周囲が就職活動をしていた頃、あたしは「就職どうするの?」と訊かれて、仙人になると答えていた。(←実話です)
小学校と中学に教育実習に行って、自分にはセンセーは向いてない、と悟った。
だからといって、企業に就職するなんて考えてもなかったし、どうしたらいいかわからなかったから、とりあえず仙人になることにした。
しかし、仙人になるって言ったら「あ、そう。」って納得されるってのもどうよ?(笑)
そして大学卒業を目前に、どっちに向いて進んでいいかわからなくなって立ち止まった時、たまたま伯父から渡された一冊の本。
コレだっ!と思った。
コレしかない、自分はこのために生まれてきたんだ(!)とまで思った。
その時初めて、あたしの中で太平洋を渡る野望が生まれた。