二浪時代は孤独だった。
成人式には行かないから振袖作ったつもりで予備校に行かせてくれと親を説得。
黄色い自転車で毎日予備校通い・・・のはずが、紀伊○屋で手当たり次第に本を読み漁る日々。
それ以外は殆ど家や図書館に篭って勉強していたので、ある日数ヶ月ぶりに繁華街に出てその人込みにホッとした根っからの都会っ子。
しかし、いくら勉強しても点数が伸びないのが英語と世界史(涙)
要するに丸暗記ってやつが超苦手らしい・・・
共通一次さえそこそこの点が取れれば、二次は何とかなるはずなのに(え?)
英語はとにかくシケ単を覚えるしかない。
でも、ヨーロッパと中国と日本の歴史が同時進行してあっちこっちにこんがらがる世界史はギブアップ。日本史に変更。
これで日本の歴史の年号を覚えるだけですむ♪(←もっと早く気づけよ)
この日本史転向作戦が功を奏して、二浪目の共通一次は△△大学合格ラインギリギリのところにひっかかった!
5分5分かもしくは4分6くらいの可能性だった(もちろん4の方)
これはもう初志貫徹するっきゃない。
しかし、もう後がなかった。三浪はないと決めていた。
だからこのときは私立の滑り止め(?)も二つ受験した。
これでダメだったら、写真の専門学校に行こう。
すると、二つ受験したうちの一つの私立大学に何とか合格。
△△大学はたぶんダメだろうと覚悟していた。
二浪までして滑り止めに受けた大学に通いたくはなかったけど、これが運命かなと諦めていた。
そして△△大学の合格発表の当日。
親にはもう△△大学はダメだからと言ってあったので、すっかり忘れている様子。
とりあえず、発表見に行くだけ見に行くか、と誰にも告げずに△△大学へ。
ないことを確認するために見ていた合格発表の掲示板に、何と自分の受験番号があった
我が目を疑うとは正にこのこと。合格者に渡される大きな封筒をもらってもまだ何だか信じられなかった。
後に△△大学でできた友達と共通一次の話になって、自分の点数を言ったらびっくりされた。
でも、実は友だちの中にあたしより一次の点が低いコが一人だけいたのを知ってるもん。
そのコは補欠入学だったけど・・・(^_^;)