I高には制服というのがなかった。
いや、一応どこにでもある紺のブレザーと紺のプリーツスカートがあったけど、それはあくまでも"標準服"であって"制服"ではなかった。
つまり、それを着ても着なくてもよし。
じゃあ私服で通学してたかというと、それも毎日大変だから、普段は標準服のスカートに夏はTシャツ冬はセーターとジャケット、ってな感じのいでたち。
ただし、中間テストとか期末テストの最終日は上から下までバッチリ私服。だって終わったら打ち上げで遊びに行くんだもん
それからI高には校則がビッシリと書かれた生徒手帳なるものもなかった。
学生証がペランと一枚あっただけ。
だもんで、ある日突然髪の毛パーマかけてガッコ−行ったりした。
そんなわけで、ロクに勉強もせずにクラブに明け暮れた高校時代。
このI高、4年制って言われているなんて入学するまで知らなかった。
つまり、I高ではほとんどが大学浪人するというしくみ
志望校を決める担任との懇談会では、△△大学に行きたいんですと言ってみたら、「浪人するんやろ?」のひと言で片付けられる始末。
親は例によって「女の子やから別に大学行かんでも・・・」とお話にならない状態だし、連れて行ってもどうせ何もわからないだろうから懇談会にも一人で出席、志望校も勝手に決定(笑)
このときはサスガに受験勉強らしいものをやってみた。
しかし、そんな付け焼刃の受験勉強で3年間まるまる遊んだ分を取り戻せるはずもなく・・・
共通一次受けたらもう笑うしかない点数。
△△大学の合格は99.9999・・・%ありえないけど、一次での足切りはなかったし、とりあえずモノはためしに△△大学受験。
そして見事不合格。
このときは△△大学しか受けなかったから、即浪人決定!
とにかく△△大学に行きたかった。
小学校の先生に向いてるって色んな人に言われて、あの頃は自分でもそのつもりになってたけど、所謂教育大学ってところで先生になる人ばっかりの中に入るのはイヤだった。
それより総合大学に行って色んな人に会いたいと思った。
そして何よりもその△△大学のある街が好きだった。
Y予備校に通って、かなりホンキで受験勉強をした一浪時代。
しかし、二度目の共通一次も無残な結果。
英語と世界史がどーしても点が取れないのよぅ(T_T)
やむなく△△大学は諦めて、イキナリこれまた勝手に東京進出計画始動!
これでうっとおしい家から出られる♪
一人で新幹線乗って、一人でホテル泊まって、行ったことも見たこともなかった大学を受験。
そして結果はっ! じゃじゃじゃ〜〜ん。
"サクラチル"
これまた見事に二浪決定(;_;)
実はこの時も、私立大学の受験勉強に手が回らなくて一本勝負だった。
当時、一浪は男女にかかわらず珍しくはなかったけど、二浪となると、しかもオンナで二浪となると、大手K塾予備校でも他に1〜2人いるかいないか・・・
こうして孤独な二浪時代がはじまるのであった。