なりました
授業中の学生とのやりとりからアドリブでジョークを言って、それがウケたときなんかは心の中でガッツポーズっ
踊ったり歌ったり・・・まではしませんが、時には身体張って笑い取ってます
しかし、ティーチングに一番必要なのはやっぱりPassion(情熱)じゃないかと思ふ今日この頃。
熱の込もった授業をするとしないのとでは、学生の食いつきが全然違うんです。
学生にとっては全然おもしろくない苦痛な科目(アメリカでは「ドライな科目」という言い方をするようです)でも、こっちが情熱を込めて授業をすれば学生はちゃんとついてくるような気がします。
で、熱の込もった授業をするには、やっぱり自分がその科目を好きじゃないと・・・
ところが、新米教員としては、自分の好きな科目は他の先生の十年来の「秘蔵っ子」科目だったり、他の先生たちが嫌がる科目を押し付けられたりで、なかなか思うようにはいきません。
それで、あまり気の進まない科目のクラスには当然情熱も入らないわけで、そんな授業を受けている学生はこれまた当然じぇんじぇんおもしろくないはず。
実はそれで以前大失敗したことがあるんです。
これまで何人もの先生たちが担当して、みんなもう二度と担当したくないと言った鬼門の科目。
その学期は他に担当したい科目がなかった(他の先生に取られてしまっていた)ので、まあその科目は別に嫌いじゃないし、ということで引き受けたんです。
そうしたら、その学期の終わり、学生による授業評価のコメントに一言、
「先生は嫌々授業やってるみたいだった」
ひょえ〜〜〜〜、バ、バレてるやんっ
あたしって、と〜ってもわかり易い人間(感情が表に出る)だというのをすっかり忘れてました
ど〜りでそのクラスの学生たちってば、全然やる気なしでつまらなそうにしてたしィ。
それって、ドライな科目のせいだと思ったら、あたしのやる気のなさのせいでもあったのねぇぇぇぇ。
授業なんて、内容をちゃんとやってればいいと思ったら大間違いでした。
とほほ・・・
そんなことがあってから、授業はできるだけ情熱(違)を込めて、熱血教師を演じるようにしてるつもりなんですが、元々がlow-keyな人なので、「鶴の恩返し」の鶴のように、自分の羽を毟り取って、身を粉にして、気力を振り絞って演じなきゃ熱血教師にはなれません。
それをこの前、一日に二クラス、3時間 x 2 = 6時間やったら本気で死ぬかと思いました。
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うちはもともと教育系の大学なので(それにしては始終論文書きとグラント申請に追われていますが)、教員達もティーチングに情熱を燃やす人が多く、Scholarship of Teachingの話で盛り上がります。教え始めた当初は、帰国子女でもない外国人の私にとってはリサーチ大学で教員をするよりもさらにハンデが大きいかなあという不安はありましたが、ELさんがおっしゃるように、学生さん達、よくみてるんですよねー。こちらが情熱を込めた分だけポジティブな反応が返ってくる気がします。ファーストネームで呼び合うインフォーマルな関係も気に入っています。
というわけで、予算カット等(特に私のいるカリフォルニアは打撃受けまくりです)教員にとっても大変な時期ですが、お互いティーチング楽しみましょう。
いや、でもほんと、タイヘンな時期なので、仕事があるだけアリガタイと思わねば、ですね。
20年程大学で教えていますが(日本です)、ティーチングはやはり学生しだいです。講義を理解してくれる学生が数人いれば、やる気はわきます。また、講義をしつつ、研究のブレークスルーが見つかることもあります。しかし、50を目前にすると、研究、教育、学内雑務を全部まんべんなくしようと思ったら、どれも一流ではないという反省にいたりました。これからどうすべきか迷うところです。
しかし、いつも驚くのは、このサイトの主宰者の方も書き込まれるアメリカでアカデミックをされている方も、エネルギーにあふれているということです。わたしなど、研究費をとる努力、研究費に見合った研究を地味にするパワーが最近減退しているような気がするのですが(学生の授業評価などには目をつぶってでさえ)、日本の大学の悪弊に毒されているのかもしれません。
時々眺めに来てくださって、ありがとうございますm(__)m
確かに、教員のやる気は学生の質にも影響されますね。アメリカの教員はエネルギーに溢れている、という風に今まで考えたことはありませんでしたが、言われてみればそうかもしれません。個人的にはもともとエネルギーはない方なので、周りに合わせんとばかりにないエネルギーを絞り出して、息も絶え絶えなんですが(T_T)
どこかで手を抜くということを本気で学ばなかければ、身が持ちそうにありません。